文珠会

文珠会の資料が出てきたので、その写真を展示します。
また、資料により文珠会や点取り俳諧についてわかったことなども書いておきます。

あと、この機会に文珠会関係者の短冊を最後に展示します。これがメインになると思います。

写真は文珠会300回記念のイベントのチラシです。伊勢からではなく、津の資料からでてきました。津の俳句短冊の保護紙として巻いてあったのを偶然発見したものです。
まずは写真を。横長なので、右半分と左半分ずつ。
写真1




○文珠会

チラシの文珠会に関する新情報を順に見ていくと、

・文珠会創立は「明治35年9月」。
・文珠会は少なくとも昭和7年4月頃まで300回以上続き、その時点では同じく津田百水が主宰。

これらによって、点取り俳諧資料展示の補足に書いたものをさらに補足すると、以下のようになります。


文珠会は津田百水を中心に瀧本秀山らによって明治35年9月に発足し、宗匠を耕雨として発展。月並会120回以後は中心である津田百水が外遊。その後、耕雨の死によってか大正3年あたりから一時失速。(耕雨は大正4年没。文珠会のもう1人の宗匠中村杏宇も大正7年に没。)しかし渡辺呂竹が大正9年から主宰し、文珠会は復興。そして大正15年に百水の帰還によって文珠会の主宰を返還し、月並会は少なくとも300回以上続いたことは、昭和7年4月締切の文珠会300回記念俳句募集のチラシで確認できる。


他には、「投吟所」の所には文珠会以外に、企画補助として「神路社」「一節社」があり、この3社は関係があったことがわかります。「神路社」は俳誌「神路」を発行。「神路」は一時文珠会を主宰していた渡辺呂竹が編集する俳誌です。祝評や発起人にも呂竹の名があり、また同じく名のある村山金夷は呂竹没後、かわって「神路」を編集した人物です。竹川香石は展示した点取り俳諧資料の所持者ですが、「餘興」の祝評や「発起人」に名があがっているところを見ると、この頃には文珠会の中心人物の一人だったことがわかります。この香石は「神路」にコンスタントに俳句を投稿しています。このように文珠会と神路社は密接な関係があったことがわかりまが、一節社については今の所は情報がありません。

未調査の俳誌「神路」があるので、細かく見て行けば文珠会のこともわかってくるかもしれません。ただ、冊数が多いので、それはまた別の機会に項を設けようと思います。
この300回記念俳句募集は、当然「神路」にもその広告が掲載されていると思いますが、残念ながらその時期の号は抜けていました。

もう一つ細かな修正を。点取り俳諧資料展示の所で、明治28年の耕雨評冊子は早い時期の文珠会のものではないかと書きましたが、まだ文珠会はできてないので違うようです。


○点取り俳諧

点取り俳諧資料のところで点取り俳諧の方法をいくらか書きましたが、ここで補足とまとめを。文珠会と俳誌「神路」に見られる方法で、県外などはわかりません。


・評は宗匠以外にも互いに会員の評をつける「互選方式」

文珠会では、宗匠以外にも、月並会の参加者は自分以外の他の参加者の評をつけます。「神路」では、誌の一コーナーとして「互選句」があり、「総句の中より三句選抜して次回の投吟と同時に句上番号及選者の氏名等明記報告の事。互選なき方へは賞品呈せず」として、投稿者に3句選ばせています。
この互選方式は伊藤松宇が提唱したものです。


・句は一番良いものから順に、天、地、人、五客あるいは十内、他。天、地、人はまとめて三光と呼ぶ。

天地人はそれぞれ1句、五客と十内はよくわからないが、三光を除いた良句の5句、10句だろうか。文珠会で句に評点をつける時には天地人はその文字がかかれ、次に二重丸、次に丸、その他選外、となる。二重丸かもしくは丸が五客や十内に当たると思われるが、今の所不明。


・落巻

最初の「課題」の下、左に各位の賞品の記述があり、「天位落巻」とある。恐らくこの「落巻」が、点取り俳諧資料の所で写真を載せた、高評点俳句を集めた宗匠自筆の俳句小冊子のことと思われる。それら冊子の持ち主は天位の香石のものであったことも「天位落巻」の記述に一致する。





文珠会の会員を中心に関係者の短冊を展示します。


○文珠会月並会に名のある人物

名前のある人物は全員挙げました。参加回数1回などの人は会員ではなく飛び入り参加などの可能性も考えられます。他の資料にない人は俳号のみです。

津田百水(創始者、主宰者)→大主耕雨関係人物
米倉巨杉(主要会員)
浦村香石(竹川香石)(主要会員、点取り俳諧資料所持者)→大主耕雨関係人物
滝本秀山(創始者、主要会員)
高橋米山(主要会員)
翠甫(主要会員)
蕉月(主要会員)
虎笑(主要会員)
吉村卯月(今回資料にも名あり)
寄水
浜崎豊水
芝青
高橋幾青→大主耕雨関係人物
素子(会員)
抱水
丘舎
如雪
浦月
村田素泉
高橋月峰
夢酔
鳴水
嶽尾掬水(耕雨弟子)→大主耕雨関係人物
久保的水
孤帆
梅友
浦村鷺外
村田香汀
柳暢
月香
森島苔青
島田光月?
酔郎
志津子
桃村


○今回の展示資料に名がある関係者

後藤錦星
村山金夷
牛江金袋
山口如竹
喜田枳窓
東鑾水
来光春渓
川井二水
山原秋光
上田美雪


○今回の展示資料の先生や宗匠
(賞品に名のある人。時々「故」とあるので他はこの時点で恐らく存命。揮毫を頼める相手として文珠会とある程度関係があると思われるため掲載。)

雪中庵東枝(経歴不明)
瀬川露城(兵庫生、滋賀住)→耕雨遺稿展示
星野麦人(東京)
中山稲青(埼玉)
川村黄雨(東京)
小泉迂外(東京)
浜田椿堂(伊勢)→耕雨関係人物
滝川愚仏(東京)
麻畑雅泉(経歴不明)
寺崎方堂(兵庫)
山田二松(東京住)
山本鳴波(伊勢/画家)
西尾其桃(兵庫生、山口住)
横田柳翁(東京)
大塚斜石(経歴不明)
矢森窓月(兵庫)
北村古心(青森)
津田百水(伊勢)→耕雨関係人物
石田一鱗(経歴不明)
伊藤方外(愛知県)
小西左文(伊勢、画家)
宮内富宝(埼玉)
岡田機外(鳥取県)
禾梢(経歴不明)
中村南柯(東京)
未庵静雄(経歴不明)
米庵雪雄(経歴不明)
片岡柳浪(東京)
小西柳子(伊勢/画家)
胡蘆庵(経歴不明)
椿翁(経歴不明)
小林高臥(経歴不明)
笠井野雲(伊勢)
大谷吟月(三重、経歴不明)
清風庵北豊(経歴不明)
藤本機兆(徳島生、大阪住)
翠明(経歴不明/歌人?)
其岳(経歴不明)
矢土錦山(射和/漢詩人)
公知寸知(経歴不明)
柴崎千寿(茨城)
杉浦三圃(京都)
鍋山正軒(経歴不明)



文珠会月並会に名のある人物




○滝本秀山

文珠会創始メンバーの一人。詳しい経歴はわかりません。



若草や牛の■■の愛らしき 秀山


点取り俳諧の所で掲載した短冊です。読めない所があり、意味はよくわかりません。

文珠会関係者の最初へ



○高橋米山(明治23年(1890)〜?)

河崎の人。名は久米三。



元日の町見に来たり里の子等 米山


文珠会関係者の最初へ



○素子

文珠会の点式表に名が見えます。経歴は不明です。



香石大人性を竹川と改められしを祝ひて
庭かへてなほも栄へよ松の花


「松」は冬でも青々とした葉を付ける松は不老長寿の象徴とされます。竹川なので、竹を使いたいところですが、竹は植えかえられないので、松竹梅の松をかわりに句に詠んだのかもしれません。

点取り俳諧資料所持者の浦村香石が竹川に姓を変えた時の祝いの句です。
文珠会関係者の最初へ

今回の展示資料に名がある関係者



今回の展示資料の先生や宗匠




(おわり)

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