○河原松声(明治11年(1878)〜昭和2年(1927))
山田の人。職歴を年代順に並べると、神宮出仕、宇治山神社社掌。度会郡教化史料調査員、巡回講師、度会郡誌編纂主。再び神宮宮掌。休職して宇治山田市史編纂嘱託、二見興玉神社社掌、神宮神部署奉賽史料調査嘱託。
漢学を十文字古青に学ぶ。国学・俳諧は独習。神典、神籍、郷土研究の篤学者として知られた。
職歴がややこしいです。住所は『伊勢度会人物誌』では館とあります。宇治の館町でしょうか。色々な本の編集にかかわり、展示で久保田秋雨の項で書いた『視昔帖』という資料の発起人でもあります。
十文字古青(天保13年(1842)〜明治37年(1904))は山田の人で神宮に仕え、漢学を鷹羽龍年に学び、国学和歌、書道をよくした。
松声は『耕雨遺稿』の主に弟子たちと詠んだ連句の中に名前がるので展示しましたが、耕雨の弟子というわけではなさそうです。
寄国祝
不二は国の宝なり鳬(けり)初日の出 七十二翁 松声
…書いてから気付きましたが、七十ニ翁となっています。松声は50歳没です。
例えば画家の磯部百鱗などは縁起を担いで実際よりはるか上の年齢を書いたため、没年より高齢の掛軸が存在するようです。ですが、それは特殊な例です。
とはいえ同名異人かといえば、もう1枚同じ筆跡の別の短冊もあり、両方俳句。松声という別の俳人も県内外に見当たらず、手持ちの短冊は伊勢の物である可能性も高い。
…せっかく写真に撮ったので、ことの真偽がわかるまでとりあえずこのまま展示しておきます(笑)。