梅谿游記九

楽哉梅渓之遊也両日留連従良友佳朋覧天
下無双之勝天亦不@其雪月之美并賜之以
成三絶可不謂多幸邪日夕辞院将至上野夜
黒迷失路陥荊棘中進退維谷乃跳超渠水蹊
田数町纔得官路同人交咎文稼余曰不亦奇
乎今日之游莫不奇者此其餘波耳公図笑曰
如此蛇足耳衆哄然初更達上野客舎翌日辞

別公図文稼等携子達等去此行余得七言律
詩十首鎮於奚嚢与公図贈篇及文稼半香等
所作詩若画A載而帰貼之壁間又瓶挿院主
所餉梅花在几案之側清香満室数日恍然猶
在梅渓中矣於是追記之得九篇使子達造図
置各篇左以示未遊者亦欲此渓之益顕也
文政庚寅仲春  伊勢拙堂居士斎藤謙

※@は左が「革」右が「斤」の字。
※Aは左が「禾」右が「困」の字。


▼読み下し

楽しき哉(かな)、梅渓の游や。両日留連し、良友・佳朋に従って天下無双の勝を覧る。天も亦、其の雪月の美を@(おし)まず、之を賜(たま)いて并(あわ)せて以て三絶と成す。多幸なりと謂わざるべけんや。

日夕に院を辞す。将に上野に至らんとして、夜黒に迷いて路を失す。荊棘中に進退するに陥り、維(ただ)谷は乃ち跳超(ちょうちょう)し、渠水(きょすい)は蹊(わた)り、田数町、纔(わずか)に官路を得(う)。

同人交(こも)ごも文稼を咎む。余曰く「亦奇ならずや。今日の游、奇ならざる者は莫し。此、其の餘波たるのみ。」公図笑いて曰く「此の如くは蛇足たるのみ。」衆、哄然たり。

初更に上野の客舎に達す。翌日、辞して公図・文稼等と別れ、子達等を携えて去る。此の行、余、七言律詩十首を得て奚嚢(けいのう)に鎮(うず)む。公図の贈るところの篇及び文稼・半香等の作る所の詩、若しくは画とA載(こんさい)して帰る。

之を壁間に貼り、又瓶に院主の餉(おく)る所の梅花を挿して几案(きあん)の側らに在り。清香室に満ち、数日恍然(こうぜん)として猶梅渓中に在るがごとし。

是に於いて之を追記し、九篇を得て、子達をして図を造らしめ、各篇の左に置き、以て未だ遊ばざる者に示し、亦此の渓の益ます顕れんことを欲するなり。
文政庚寅仲春 伊勢拙堂居士斎藤謙


▼語釈

〇留連−さまよい歩くさま。流浪する様子。
〇@−おしむ(吝)。やぶさか。
〇多幸−多くのしあわせ。多くの幸運にめぐまれること。多福。
〇日夕−夕方。日暮れ時。
〇夜黒−夜のやみ。くらやみ。
〇荊棘(けいきょく)−いばら。障害になるもののたとえ。紛糾した事態のたとえ。
〇渠水(きょすい)−ほりわり。疎水。運河。
〇蹊−こみち。わたる。よこぎる。
〇同人−気のあった友達。なかま。
〇餘波−風がおさまったあとも、なお残っている波。影響。なごり。
〇哄然−どっと声をあげて笑う様子。
〇初更−午後7時または8時から2時間を言う。
〇客舎−宿屋。旅館。
〇奚嚢(けいのう)−従者に持たせ、名勝を探って行吟した詩歌を入れる袋。転じて、詩文を入れる袋。うたぶくろ。
〇A載−貨財等を一杯に満載すること。Aは縄で荷物を束ねること。
〇壁間−かべのひょうめん。
〇几案−つくえ。
〇恍然−恍惚。
〇文政庚寅仲春−文政13年(1830年)2月。
〇謙−拙堂の名。正謙。


▼訳

梅渓の観光は何と楽しいことであろうか。二日間さまよい歩き、良き友人達と一緒に天下に二つと無い景勝を鑑賞した。空もまた、雪・月の美を惜しまず我々に与え、あわせて雪月花、三つのすばらしい景色となった。まことに幸福と言わずして何と言おうか。

夕方に宿泊していた尾山の三学院を出る。もう少しで上野につこうという所で夜の暗闇に迷い、道からはずれてしまう。道無きいばらの中をさまよい、ただ谷があれば飛び越え、水路をわたり、田んぼ数町を進んだところで、なんとか公道に出ることができた。

同行の者はそれぞれに案内役の服部文稼を責めた。私が「またこれも一興ではないか。今日の観光は全てがおもしろかった。これもそのなごりにすぎない。」と言うと、星巌は笑いながら「こんなものはただの蛇足にすぎない。」と言う。皆はどっと声をあげて笑った。

午後8時ごろに上野の宿屋に着いた。翌日、宿を出て星巌、文稼達と別れ、青谷達と一緒にその地を去った。この旅行で私は七言詩を十首作って歌袋に入れ、星巌にもらった詩文と、文稼・半香の作った詩や絵を満載して帰った。

これらを壁に貼り、また、瓶に三学院の主人にもらった梅の花をいけて、机のそばに置いた。清い香りが部屋に満ち、まだ梅渓にいるようで、数日恍惚としていた。

そこでこの文を追記し、九篇を書いて、宮崎青谷に図を描かせて各篇の左に配置し、まだ行ったことのない人に見せることにした。それはまた、このすばらしい月瀬梅渓がもっと有名になって欲しいという願いを込めてでもある。


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