梅谿游記六

舟中既覧尾山諸谷又欲西観桃野纔転棹則

北岸所未見之山突兀躍出樹石雑焉@龍虎
豹譎詭夭矯有一石如人之冠而立曰烏帽子
巖水益駛激搏A磊稍緩処俯而窺之澄徹見
底游魚可数花片点波輒就B之無所得而逝
為之一笑仰見桃野在前地勢C絶黄茅数家
縹渺現出於梅花爛漫間如瑶宮D闕在白雲
中可望而不可即也E夫云此渓毎夏月躑躅
花開水変作猩血色亦為奇絶故名為躑躅川
也鳴F此渓之奇一何多也恨一時不能併観

焉記之以俟他日

※@は「叫」の「口」が「虫」の字。
※Aは左が「石」、右が「畏」の字。
※Bは左が「口」、右が「妾」の字。
※Cは左が「こざとへん」に「走」の字。
※Dは「橘」の「木」が「王」の字。
※Eは竹冠に「高」の字。
※Fは左が「口」、右上が「虍」、右下が「乎」の字。


▼読み下し

舟中、既に尾山諸谷を観、又西に桃野を観んと欲す。纔(わずか)に棹を転ずれば、則ち北岸の未(いま)だ見ざる所の山は突兀(とっこつ)として踊り出ず。樹石雑(ま)じりて@龍虎豹(きゅうりゅうこひょう)譎詭(けっき)して夭矯(ようきょう)たり。
一石有り。人の冠の如くにして立つ。曰く、烏帽子巌(えぼしいわ)。水益々駛(はや)く激しく搏ち、A磊(わいらい)たり。稍(やや)緩き処、俯して之を窺えば澄徹(とうてつ)して底に游魚の数(かぞ)うべくを見る。花片、点じて波だてば、輒(すなわ)ち就(つ)きて之をB(すす)り、得る所無くして逝(ゆ)く。

之が為に一笑して仰ぎ見れば、桃野は前に在り。地勢、C絶(とうぜつ)たり。黄茅(こうぼう)の数家、縹渺(ひょうびょう)として梅花爛漫の間より現れ出(い)ず。瑶宮(ようきゅう)D闕(けいけつ)の白雲中に在るが如し。望むべくして即(つ)くべからざるなり。

E夫(こうふ)云う。此の梅渓は毎夏月、躑躅(てきちょく)の花開き、水変じて猩血色と作(な)る。亦奇絶たり。故に名を躑躅川と為(な)すなり。鳴F(ああ)、此の渓の奇、一(いつ)に何ぞ多きや。恨むらくは一時にして併せて観る能わず。之を記し以て他日を俟つ。


▼語釈

○突兀(とつこつ)−高くつき出るさま。山などが高くそびえ立つさま。兀は高い意。
○@(きゅう)−みずち。龍の一種。
○譎詭(けっき)−あざむきいつわる。物の形が普通と変わっている。珍しい。
○夭矯(ようきょう)−飛びあがるさま。ほしいままなさま。まがりくねったさま。
○A磊(わいらい))−石が多く、でこぼこしているさま。
○澄徹(とうてつ)−恐らく澄Kのこと。澄Kは澄み渡りすきとおる。清く澄み渡る。
○地勢−土地の起伏・傾斜などの状態。地形。
○C絶(とうぜつ)−Cも絶も、けわしいの意。
○黄茅(こうぼう)−ちがやの一種。黄色いちがや。
○縹渺(ひょうびょう)−遠くかすかなさま。また、はるかに遠いさま。
○瑶宮(ようきゅう)−立派な宮殿。
○D闕(けいけつ)−Dは美しい玉、闕は宮城、または門。
〇躑躅(てきちょく)−つつじ。ここではさつきのこと。
○猩血(しょうけつ)−猩々の血。その色が非常に赤いので真紅の色に例える。
○鳴F(ああ)−嗚呼と同じ。嘆息の言葉。
○一(いつニ)−なんと。語調を強める助字。


▼訳

舟から尾山の諸谷を見た後、西へ桃野村の谷を見ようとしする。少し舟に棹さして方向を変えると、北岸のまだ見ていない山が飛び出すように高くそびえている。樹木や石がいりまじって、竜や虎かとあざむかれ、まがりくねっている。

一つの石がある。人がかぶる冠のような形をして立っており、烏帽子岩という。水は益々はやく激しくうちて流れ、石が多くでこぼこしている。やや流れの緩いところ、下に水中を見ると、魚が数匹遊んでいるのが見える。花びらが水面に落ちて波をつくると、魚はそれをつっつくが、得るものも無いままどこかへ行ってしまう。

その光景にひと笑いして仰ぎ見ると、桃野村は前にあった。けわしい地形である。黄色のちがやをふいた家が数軒、はるか遠く盛りの梅花の間から現れる。それは宮殿玉門が白雲の中にあるかのようである。遠く望むことはできても近づくことはできない。

船頭は言った。「この梅渓は毎年夏にさつきの花が咲いて、水の色が真っ赤になります。それもまたとてもおもしろい景色です。それで名を五月川といいます」。ああ、この谷のすばらしさは何と多いのだろうか。残念なのは一度にまとめて見ることができないことである。いつかまた訪れる日を期待して、そのことをここに記す。


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