梅谿游記五

既而天晴日出近午雪尽消乃欲往覧南岸之
勝行到一目千本下見舟横南岸即嵩村渡也

隔水呼之老①夫一声応答自叢竹中出②舟
来載余謂衆曰北岸山路崎嶇難行未能悉其
勝講先観之而後及南如何衆曰可矣乃命泝
渓抵真福寺下嵓石③齶齧舟乃反尾山之梅
以谷量八谷各数百千樹真福在其極西其下
為初谷名曰敞谷第二曰鹿飛第三曰捜窪其
上有天狗巖謂羽客所棲止第四曰祝谷第五
曰菖蒲谷第六曰杉谷第七即一目千本第八
曰大谷花之多与一目千本相頡頏相距皆不

過数十歩其勝各異不能尽状唯諸谷之花与
前岸之山夾谿相映舟行其間杳然覚仙路不
遠此尤為奇也公図嘗遊於此有句云梅花亦
自有仙源信然余謂之曰桃花凡俗未足標仙
源使世真有桃源者竟不若梅渓之得仙趣彼
彭沢之記徒費力耳恨不使目撃如此之勝也
公図首肯者久之

※①は竹冠に「高」の字。
※②は手偏に「掌」の字。
※③は左が「齒」で右が「斤」の字

▼読み下し

既にして天は晴れ、日出ず。午に近くして雪は尽きて消ゆ。乃（すなわ）ち往きて南岸の勝を観（み）んと欲す。行きて一目千本の下に到る。見れば舟は南岸に横たわる。即ち嵩村の渡しなり。水を隔（へだ）てて之を呼ぶ。老①夫（こうふ）一声して応答す。叢竹中より出でて舟に②（さお）さして来（きた）る。

余を載せて衆に謂いて曰く、「北岸の山路は崎嶇（きく）として行き難く、未だ其の勝を悉（つ）くす能わず。請うらくは先ず之を観、而（しか）る後に南に及べば如何（いかん）」と。衆曰く、「可なり」と。

乃（すなわ）ち命じて渓を泝（さかのぼ）り、真福寺の下へ抵（いた）る。嵓石（がんせき）の③齶（ぎんがく）、舟を齧（かじ）れば乃（すなわ）ち舟は反（かえ）らんとす。

尾山の梅は谷を以て量る。八谷、各おの数百千樹。真福寺は其の極西に在り。其の下を初谷と為（な）して曰く、敞谷（しょうこく）。第二に曰く、鹿飛。第三に曰く、捜窪。其の上に天狗巖有り。羽客（うかく）の棲止する所と謂う。第四に曰く、祝谷。第五に曰く、菖蒲谷。第六に曰く、杉谷。第七に曰く、一目千本。第八に曰く、大谷。花の多きは一目千本と相頡頏（きっこう）す。

相距（へだ）たること皆数十歩に過ぎざるも、其の勝、各おの異なる。状を尽くすこと能わず。唯諸谷の花は前岸の山と谿を夾（はさ）みて相映ゆ。舟は其の間を行く。杳然として仙路の遠からざるを覚ゆ。此れ尤（もっと）も奇と為すなり。

公図嘗て此に遊び、句有て云う。梅花は亦自ずから仙源有り、と。信然たり。余、之を謂いて曰く、桃花は凡俗たり。未だ芝（し）は仙源を標（しる）さず、世をして真に桃源有るは竟（つい）に梅谿の仙趣を得たるに若かず。彼の彭沢の記は徒（いたずら）に力を費やすのみ。恨むらくは、目をして此の勝の如きを撃（げき）せしめず。公図の首肯するは之を久しうす。

▼語釈

○①夫－船頭のこと。①はさお。ふなざお。
○叢竹－むらがり生えている竹。また、竹やぶ。
○②－さおさす。舟をすすめる。
○崎嶇－山道がけわしいさま。
○③齶－歯ぐき。
○羽客－羽化登仙の人。仙人。また、道士。
○棲止－住むこと。
○頡頏－鳥が飛び上がったり、飛び降りたりすること。転じて、勢力が張り合って優劣のないこと。
○歩－約1.8メートル。
○杳然－はるかなさま。深く遠いさま。
○仙源－仙人のいるところ。俗人の行くことのできない霊境。
○凡俗－世間並なこと。品格のいやしいこと。
○彭沢之記－恐らく桃源郷の語源となった陶淵明の「桃花源記」のこと。陶淵明は一時期彭沢県の県令をしていた。
○撃－触れる。当たる。
○首肯－うなずく。同意する。

▼訳

すでに空は晴れ、日が出た。昼近くに雪は溶けて消えた。そこで川の南岸の景勝を見に行こうとした。行って一目千本のあたりに来た。川を見ると、南岸に舟がある。嵩村の渡し舟である。対岸から舟を呼ぶと、老船頭が一声を発して答え、竹藪から出て、舟に棹をさしてやって来た。

私を舟に乗せて、船頭が皆に言った。「北岸の山道はけわしくて行きにくく、まだ見てない景色もあるでしょう。ですからまず、それらを見た後で南岸へ行くのはどうでしょうか。」と。皆は「そうしよう。」と同意した。

そこで命じて渓流をさかのぼり、真福寺の下に来た。歯のような岩石が舟をこすると舟がひっくり返りそうになる。

尾山の梅のは谷で数える。八つの谷は各々数百、数千の梅の木がある。真福寺はその一番西にある。寺の下を第一の谷として敞谷という。第二の谷を鹿飛という。第三の谷を捜窪という。その谷の上に天狗岩が有る。天狗の住む所といわれている。第四の谷を祝谷という。第五の谷を菖蒲谷という。第六の谷を杉谷という。第七の谷を一目千本という。第八の谷を大谷という。この谷の花の多さは一目千本と拮抗している。

それぞれの谷は数十メートルしか離れていないが、その景勝は異なっている。それらの状態を書き尽くすことはとてもできない。ただ、谷の梅花は、対岸の山とともに渓流を挟んで引き立て合う。舟はその間を行く。その景は奥深くはるか遠く、仙郷への道が近いのではないかと思わせる。これは大変おもしろい。

梁川星巌はここに来て、詩を詠んでこう言った。「この梅の花は自然と仙郷を作り出している」と。それを信じさせるような景観である。私はこう言った。「仙郷にあるという、桃の花は品がない。霊芝は仙人の食べ物だと言われているが、今までその存在が仙郷を示したことはない。このように世の中で真に桃源郷があるとされるものたちは、仙郷のおもむきにおいて、この梅渓に劣っている。かの陶淵明の桃花源記は、無駄な労力である。残念なのは彼がこの梅渓のような景勝を見ることができなかったことである」と。星巌は長い間うなずいていた。