梅谿游記四

花月之賞已畢還就宿夜已過三更疲甚一睡
到暁覚則奇寒沁骨紙窓甚白起推戸見雪積
平地三四寸連呼奇又呼酒満引大@与同人
出復赴真福到昨夜翫月処雖渓山不異丹崖
碧巖悉化為白玉堆花亦加素彩如粉伝何郎
之面其美更増一俯一仰入目皚然独渓光益

碧作縹玉色耳楳渓之清於是焉極矣古人論
梅謂譲雪三分白然雪以白勝梅以艶勝各有
佳趣韓退之詠雪梅云彩艶不相因是可為定
論已此行既収花月之奇今又并雪梅之清天
之賜我何厚也欲往覧前路之勝以歩履艱而

[小竹曰月従雪後皆奇夜天到梅
辺有一春曽聞此句今見其勝]

※二行10文字目「窓」本文では「総」の「糸」が「片」の字。読みや意味は「窓」と大体同じ。
※@は左が「酉」右が「爵」の字。


▼読み下し

花月(かげつ)の賞、已(すで)に畢(おわ)り、還りて宿に就く。夜、已(すで)に三更を過ぐ。疲るること甚だしく、一睡にして暁に到る。覚むれば則ち奇寒、骨に沁(し)む。紙窓(しそう)甚だ白く、起きて戸を推せば、雪の平地に三四寸積るを見る。奇を連呼し、又酒を呼びて満引し、大いに@(つ)くす。

同人と出でて復(ま)た真福へ赴き、昨夜、月を翫(もてあそ)びし処に到る。渓山は異ならずと雖も丹崖、碧巖、悉(ことごと)く化して白玉の堆(うずたか)きと為(な)る。花、亦素彩を加え、粉(ふん)の何郎(かろう)の面に伝(つ)くが如し。其の美、更に増す。

一俯一仰(いっぷいっこう)、目に入ること皚然(がいぜん)たり。独り渓光はますます碧にして縹玉色を作(な)すのみ。楳渓の清、是に於いて焉(これ)極む。古人梅を論じて謂う、雪に三分の白きを譲る。然らば雪は白を以て勝る。梅は艶を以て勝る、と。各々佳趣有り。

韓退之(かんたいし)、雪梅を詠じて云う。「彩と艶は相因(よ)らず」と。是、定論と為(な)すべきのみ。此の行、既に花月の奇を収む。今又雪梅の清を并(あわ)す。天の賜ふは我に何ぞ厚きや。往きて前路の勝を覧(み)んと欲すれども、歩いて履(ふ)むの難しきを以て止む。

小竹曰く、「「月は雪後従(よ)り皆奇夜なり、天は梅の辺(ほとり)に到りて一春有り」曽て此の句を聞き、今其の勝を見る」。


▼語釈
○就−おもむく。そこへ行く。
○奇−めずらしい。思いがけない。○紙?−紙をはった窓。
○呼−さけぶ。大声を出す。
○満引−杯に酒をなみなみとみたして、一息に飲む。
○@−つくす(尽)。飲み尽くす。杯の酒を飲みほす。
○白玉−白色の美しい玉。小粒で白く美しいもの、白米などのたとえ。
○何郎−魏の何晏のこと。何晏は顔の色が白いので、白粉をつけているかと疑われたという。また、毎に白粉をはなさず、容姿を気にしたともいう。
○一俯一仰−一方は俯し、一方は仰ぐ。或は俯し、或は仰ぐ。
○皚−しろい。特に、霜や雪の白いさま。
○縹−はなだ色。うすい藍色。そら色。
○佳趣−すぐれたおもむき。おもしろみ。
○韓退之(韓愈)−唐中期の文人、詩人、思想家。唐宋八大家の一人。
○定論−正しいと認められている議論。定説。
○「月従〜一春」は南宋の政治家、詩人で南宋四大家の一人、范成大の詩。ネットでは「天到梅辺開別春」となっている。


▼訳

花と月の鑑賞を終えて宿に戻った。夜はすでに三更(午前0時)を過ぎていた。すごく疲れていたので、一眠りするともう早朝だった。目が覚めると思いがけないほど寒く、骨に寒さがしみいった。障子がとても白かったので、起きて戸を開けてみると、雪が三四寸(約9〜12cm)積っているのが見えた。喜んで「おもしろい」と何度も叫びながら酒を呼んで取り寄せ、杯になみなみと注ぎ、一息に飲みほした。

同じ人達と宿を出て、また真福寺へ向かい、昨夜に月を鑑賞したところに着いた。谷や山は前日と同じであるが、赤い崖、緑の岩はどれもことごとく美しい白玉が高く積み重なった状態となっている。白梅の花はまた白色を加え、白かったといわれる何晏の顔に、白粉(おしろい)をつけたかのようであり、更に美しさを増している。

俯(ふ)しても仰(あお)いでも、目に入る景色は真っ白である。ただ川の光のみはその白色との対比によって、ますます青々としてはなだ色の玉(ぎょく)のようである。梅の谷の清らかさはここに極まる。昔の人は梅を論じて言った。「梅より雪の方が三分白い。よって雪は白さにおいて勝り、梅はあでやかさを以て勝る」と。雪も梅もそれぞれにおもしろさがある。

韓愈は雪梅を詠んで言った。「(雪の)色の白さと(梅の)あでやかさは、互いによりそわない」と。これは定説とすることができる。今までの観光で既に花と月のめずらしい景色を堪能した。そして今、また雪と梅の清さをあわせて鑑賞することができた。天は私になんと厚い恵みを与えてくれるのだろうか。進んでもっと道の先の美しい景色を見ようと思ったが、雪により歩行困難のため、仕方なく中断した。

篠崎小竹は言う。「「雪の降った後の月夜は、それ以後はいつも素晴らしい。日の光がさせば、梅花のあたりで一つの春の訪れがある。」という句を以前に聞いたが、今、そのすばらしい景色を見る思いである。」と。


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