梅谿游記三

昏黒還入院欲俟月升復出観花也余平生想
渓梅月夜之奇欲一游併之毎歳春有人自伊

来者輙詢之花之開謝与月之虧盈毎齟齬不
相合遅之七八年至於今歳欲以今月望前来
然以地在山中著花殊晩其盛開常在春分前
数日而春分在今月之末如其無月何忽思邵
康節詩云看花切莫見離披私謂及半開則可
何待其爛漫遂以望後三日来豈意花開已七
八分或将十分実望外之喜也独奈日已落黒
雲覆天意殊帳帳張燭欲飲此行購樽容五升
者満貯酒命奴負荷呼取之酌不数巡而竭怪

詰之乃知奴酔墜地到傾覆益悵悵買村酒得
数升来洗盞更酌雖甜不適口亦自醺然文稼
風流士公図以詩名海内而半香良画山水餘
人亦皆吟咏揮灑少慰愁悶俄而小奚来報曰
雲破月出矣衆驚喜欲狂捨盞走出時将二更
月色清朗歩抵真福寺枝枝帯月玲瓏透徹影
尽横斜宝鈿玉釵錯落満地水流其下鏘然有
声覚非人境傍岸西行前望月瀬水清如寒玉
漂月影蹙作銀鱗而両山之花倒@其上隠約

可見一棹中流山水倶動吾平生之願至是酬


※@の字は上が草冠、中央左が「酉」右が「隹」、下がれんが(点の下)。


▼読み下し

昏黒(こんこく)に還りて院に入る。月が升(のぼ)るを俟(ま)ちて復(ま)た出て花を観んと欲するなり。余、平生渓梅月夜の奇を想い、一游して之を併(あわ)せんと欲す。毎歳春、人の伊自(よ)り来る者有らば、輙(すなわ)ち之に花の開謝(かいしゃ)と月の虧盈(きえい)とを詢(はか)り、毎(つね)に齟齬(そご)して相合わず。

之を遅(ま)つこと七八年にして今歳に至る。今月望前を以て来らんと欲す。然れども地は山中に在るを以て、花を著(つ)けること殊に晩(おそ)し。其の盛開は常に春分前の数日に在りて、春分は今月の末に在り。其の月無きを如何(いかん)せん。

忽(たちまち)ち思う、邵康節、詩に云う、「花を看るに切(せつ)に離披(りひ)するを見る莫(な)かれ」と。私(ひそか)に謂(おも)う、「半開に及べば則ち可なり。何ぞ其の爛漫を待たん」と。遂に望後三日を以て来る。豈(あに)花開くこと已に七八分、或は将に十分ならんとすると意(おも)わんや。実に望外の喜びなり。

独り日は已(すで)に落ち、黒雲、天を覆うを奈(いか)ん。意、殊(こと)に帳帳(ちょうちょう)たり。燭を張りて飲まんと欲っす。此の行、樽の容五升の者を購(あがな)い、酒を貯めて満たし、奴をして荷を負わしむ。呼びて之を取る。酌(く)むこと数巡ならずして竭(つ)く。怪しみて之を詰(きっ)すれば乃ち奴、酔いて地に墜(お)ち、傾覆(けいふく)に致(いた)るを知る。益ます悵悵たり。

村の酒を買いて数升を得て来たり。盞(さかずき)を洗い更に酌(く)む。甜(あま)くして口に適さずと雖も(いえど)、亦(また)自(おの)ずから醺然(くんぜん)たり。文稼は風流の士、公図(こうと)は詩を以て海内(かいだい)に名だかくして、半香は善く山水を画(か)く。餘人、亦皆吟咏(ぎんえい)揮灑(きさい)し、少(しばら)く愁悶(しゅうもん)を慰(なぐさ)む。

俄かにして小奚来たりて報じて曰く、「雲破れて月出でたり」と。衆、驚き喜び、狂いて盞(さかずき)を捨てて走り出でんと欲す。

時は将に二更ならんとす。月色清朗たり。歩いて真福寺へ抵(いた)る。枝枝は月を帯びて玲瓏(れいろう)透徹(とうてつ)たり。影は尽(ことごと)く横斜して宝鈿(ほうでん)玉釵(ぎょくさ)は錯落(さくらく)して地に満つ。水は其の下を流れて鏘然(そうぜん)として声あり。人境に非ざるを覚ゆ。

岸に傍(そ)いて西に行き、前に月瀬を望む。水清く寒玉の如し。月影を漂わせ、銀鱗を作りて蹙(せま)りて、両山の花は其の上に倒@(とうさん)して隠約として見るべし。一たび中流に棹させば山水倶に動く。吾が平生の願い、是に至りて酬ゆ。


▼語釈

○昏黒−まっ暗なこと。まっ暗闇。
○詢−はかる。とう。相談する。
○開謝−花が咲くことと、散ること。
○虧盈−欠けることと満ちること。
○齟齬−上下の歯がくいちがって合わないこと。転じて、物事のくい違うこと。
○遅−まつ(待)。ねがう。のぞむ(望)。
○盛開−満開。
○邵康節−人名。邵雍。北宋の学者・詩人。共城 (河南省) の人。字は堯夫 (ぎょうふ) 。
○離披−花が十分にひらく。
○切−すべて。おしなべて。「一切」。
○看花切莫見離披−邵康節の詩「安楽窩中吟」より。辞書などには「賞花慎勿至離披(花を賞するに慎みて離披に至る勿(なか)れ)」とある。意味は「花は満開にならないうちに鑑賞するのがよい。物はいまだ絶頂に達しない段階をもってよしとすべきである」。
○望外−思いのほか。期待したより以上。
○帳帳−恨めしく思うさま。いたみ恨むさま。失望してなげくさま。
○張燭−ともし火をかきたてる。
○奴−やっこ。近世、武家の奴僕。日常の雑用の他、槍・挟み箱などを持って行列の供先を勤めた。中間(ちゅうげん)。
○詰−とう(問)。といつめる。また、しらべる(調)。
○傾覆−くつがえす。また、くつがえる。
○醺然−酒に酔って陶然とするさま。醺は、よう(酔)。
○咏−詠。
○揮灑−筆をふるい墨を注ぐ。書画をかくこと。揮は、筆をふるう。灑は、墨を注ぐ。
○愁悶−憂えもだえる。悲しみもだえる。
○小奚−十四五歳のおさない召使。小奚奴。
○驚喜−驚き喜ぶ。非常に喜ぶ。
○狂−軽はずみに動く。落ち着きがない。あわてる。また、はげしく動く。
○二更−五更の第二。およそ現在の午後9時または午後10時から2時間をいう。
○清朗−清くほがらか(明るく光るさま。)なこと。天気のからりとはれているさま。
○玲瓏−玉のようにあざやかで美しい様子。
○透徹−すきとおる。
○宝鈿−宝石・珠玉・金銀・青貝などで飾ったかんざし。鈿は婦人のかんざし。
○玉釵−玉でつくったかんざし。玉をちりばめたかんざし。
○錯落−散り敷く。また、入りまじる。
○鏘然−金属や玉石などのふれあう音の形容。また、水の音がさらさらと美しく聞こえる形容。
○人境−人の住んでいるところ。俗界。
○傍−よる。そう。よりそう。
○寒玉−冷たく光る美しい玉。清らかな水。さえわたる月・月影。
○倒@−影をさかさまに水面にうつす。@は、ひたす意で、水面に影をうつすこと。
○隠約−はっきりわからない。かすかなさま。


▼訳

まっくらになってから戻って予約してあった宿の三学院に入った。月が出るのを待って、また花を見たいと思っていた。私は普段から梅花の谷の月夜の素晴らしさを想像し、一度行って、梅花と月夜とをあわせて堪能したいと思っていた。毎年春になると、伊賀から来る人がいれば、花の開花の時期と月の満ち欠けの時期を聞いたが、いつも食い違って合わなかった。

花と月の時期が合うのを待って今年で7、8年が経過した。今回こそは今月の満月前に梅渓へ来ようと思っていた。しかし場所は山の中なので花が咲くのは特に遅い。満開はいつも春分前の数日で、その春分は今月の末であった。月が無いのはどうすることもできない。

その時にわかに邵康節の詩が思い出された。「花を見るときは決して開き切った花を見てはいけない」と。そして私は心の中で考えた。「花は開きかけであれば十分である。どうして満開の時期まで待つ必要があるだろうか。」と。ついに満月の三日後にこの地にやって来た。しかし全くの予想外にも、開花はすでに七八分咲き、あるいはまさに満開になろうとしていた。思いのほかの喜びである。

ただ、日が落ちたあと、黒雲が天をおおっているのはどうしようもい。とても残念に思い、ともし火をかきたてて明かりを保ち、酒を飲もうとした。この旅行では、容量五升の樽を買い、酒を満たして奴(やっこ)に荷をもたせてきた。奴を呼んでその酒を取ってこさせた。数回くんだだけで酒が尽きてしまった。いぶかしんで奴を問い詰めると、奴が酔って地面にたおれ、樽をひっくり返してしまったということを知った。ますます残念な気分になった。

現地の尾山村から数升の酒を調達してきた。盃を洗ってさらに酒を飲む。甘口で口に合わない酒ではあるが、自然と酔いがまわってよい気分となってきた。服部文稼は風流士、梁川星巌は天下に聞こえた詩人、福田半香は山水画の名人であるので(それぞれに遊び)、他の人たちもまた、吟詠したり書画をかいたりしてしばらくの間、気晴らしをして心をなぐさめた。

突然丁稚が来て報告した。「雲がひいて月がでました」と。皆はおどろいて喜び、あわてて盃を捨てて、今にも外へ走出ようとした。

時刻はちょうど二更(午後9時または10時)になろうとしていた。月の色は明るく清い。歩いて新福寺に来た。梅の枝々は月がかかって透き通り、玉のように美しい。枝の影はすべて斜めによこたわり、宝石や玉のかんざしが入り乱れるように地上を満たしている。川はその影の下を流れてさらさらと美しい音をたてている。俗世ではないことを感じた。

岸に沿って西に行き、前方に月瀬を見る。川の水は清らかで冷たく光る美しい玉(ぎょく)のようである。川の水は月の光を漂よわせ、銀色の鱗を作ってせまる。両岸にある山の花はさかさまに水面にうつり、かすかに見ることができる。ひとたび川の中ほどへ向かって棹をさして舟を出すと、波で水とともにその水面にうつった山も動く。私の日ごろの願いはこの時になって報われた。


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