大主耕雨と服部耕雨

大主耕雨より17年年少で、知名度もある耕雨という名前の俳人がいます。それが服部耕雨です。耕雨遺稿の展示のところで、間違って服部耕雨の短冊を掲載していました。(このページがUPされるころには差し替えてあると思います。)

他にも明治11年生まれの「牧野耕雨」という人(本職は画家)などもいます。同名の人は号によってはたくさんいますので、これまで展示してきた中にも、もしかすると同名異人のものがあるかもしれません。気を付けなければいけません。

では、その服部耕雨の短冊がいくつかありますので、以下に展示します。



筆跡が大主耕雨違いますね。句作の年代によるものかと思っていました。
服部耕雨について、ネットから講談社の日本人名大辞典を引用すれば、

服部耕雨(はっとり-こうう)1852−1917 明治-大正時代の俳人。
嘉永(かえい)5年生まれ。養父の服部柏園にまなぶ。正岡子規の俳句革新に応じて,明治30年月刊誌「俳諧(はいかい)評論」を創刊した。大正6年2月14日死去。66歳。下総(しもうさ)海上郡(千葉県)出身。名は治左衛門。別号に指頭庵,香樹園。

となります。大主耕雨と違い、どちらかと言えば新派の俳人のようです。



俳句の読みは左から順に

蒙塵(もうじん)の鹵薄(ろぼ)にしたゝか霰(あられ)かな

稗蒔(ひえまき)の鶴なこかしそ青嵐(あおあらし)

賀章 檜(ひのき)や杉やこだて(木楯)にとりてうめが花

1句目は「天子の都落ちの行列に追い打ちのように激しい霰が降った」といった意味。「蒙塵」は天子が変事のために都の外に身をのがれること。みやこおち。 「鹵簿」は天子の行列。天子は日本でいえば天皇にあたります。何を詠んだものかはよくわかりません。

2句目は「稗蒔きに立てた鶴の置物をこかさないでくれ、夏の風よ」といった意味。 「稗蒔」は水盤などに水を含んだ綿を置いて稗をまき、芽が出たのを青田に見立てて涼感を楽しむ盆栽。夏の季語。「青嵐」は青葉のころに吹くやや強い風。夏の季語。

3句目は「檜や杉を楯として梅の花が散ってしまうのを防いでいる」といった意味でしょうか。「賀章」はよくわかりませんが、お祝いの句、のような意味でしょうか。



1句めは漢語漢語した変わった句です。新時代向けの試行錯誤の句でしょうか。子規の提唱する日本派の俳句は、生活にある出来事見たままを詠む、というものだったと思いますが、2・3句目はそういう写生の句と言えそうです。
俳句のことはよくわからないので、それっぽい適当なことを言って終わっておきます(笑)。


(おわり)

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